大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜地方裁判所大垣支部 平成5年(ワ)150号 判決 1994年7月29日

原告

安藤貴弘

安藤順子

右両名訴訟代理人弁護士

大久保等

被告

住友海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

小野田隆

右訴訟代理人弁護士

児玉康夫

堀部俊治

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら(請求の趣旨)

被告は、原告らに対して、それぞれ五〇〇万円およびこれにつき平成五年一二月二九日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

二  被告(請求の趣旨に対する答弁)

主文と同趣旨である。

第二  当事者の主張

一  原告ら(請求の原因)

1  保険契約の締結と内容

訴外安藤茂は、被告との間で、平成四年一〇月六日、自家用小型乗用車トヨタ・クレスタ(岐阜五二と一四五七、以下「事故車」という)を被保険自動車として、自動車総合保険契約を締結した。

右保険契約には、事故車の正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者が、事故車の運行に起因する事故により身体に傷害を被った時は、保険金を支払う旨約定されている。

そしてその場合の死亡保険金は、被保険者が右傷害を被り、その結果事故発生の日から一八〇日以内に死亡したときは、一〇〇〇万円を被保険者の相続人に支払う旨も約定されている。

2  事故の発生(以下「本件事故」という)

原告安藤順子(以下「原告順子」という)は、事故車を運転して、次のような事故を起こした。

発生日時 平成五年一月一日午前九時五〇分ころ

発生場所 岐阜県大垣市禾森町四丁目三四番地

発生態様 原告順子が、助手席に子供を乗せ、現場を走行中、歩行者を避けようとして、ハンドルを左に切ったところ、助手席の子供が座席から滑り落ちたので、それに気を奪われ、ハンドル操作を誤り、道路左側の自動販売機に衝突した。

3  安藤健太(以下「健太」という)の出生と死亡

原告順子は、本件事故により腹部を強打したが、当時妊娠二三週間であったためレントゲン検査を受けることができず、安静にしていたところ、当夜容態が急変し、前置胎盤早期剥離が発症し、母体の保護と胎児の安全のためにも早急な帝王切開による出産が必要とのことであった。

そこで原告順子は、手術を受け、翌二日午前九時ころ、健太を出生した。

ところが健太は、翌三日午前一〇時四九分、死亡した。

健太は超未熟児であり、その死亡は、本件事故に起因することは明らかである。

4  相続

原告らは、健太の両親で、その相続人で、健太の相続分を二分の一づつ相続した。

5  結論

よって原告らは、保険契約により、健太の受け取るべき保険金の支払いを求めて本訴(遅延損害金の起算日は、本訴状が被告に送達された日の翌日、その利率は商法所定の年六分の割合による)に及んだ。

二  被告(請求の原因に対する認否)

1  請求原因1(保険契約の締結と内容)の事実は認める。

2  同2(事故の発生)の事実は認める。

3  同3(健太の出生と死亡)の事実は認める。

4  同4(相続)の事実は認める。

5  同5(結論)の事実は争う。

三  被告(主張)

1  原告らの本訴請求は、保険契約に基づくものであるところ、健太はその約定にいう「被保険者」に該当せず、本訴請求は到底認められる余地のないものである。健太は本件事故当時胎児であり、第一に被保険「者」とは当然法人格を有していることが必要であるところ、被保険者とはなり得ない、第二に搭乗者傷害保険の被保険者は、傷害という保険事故を負う必要があるところ、「傷害」とは、我が国の定説(死亡保険金は、傷害たる結果に応じた保険金の給付内容であって、死亡そのものが保険事故となっているものではない)では、当然に法人格、しかも自然人を前提とする概念であり、第三に民法の大原則にもかかわらず、胎児に権利能力が認められるのは、特別の明文の規定を要するところ、保険契約について言えば、このような根拠規定は存しない(不法行為による損害賠償請求権については、民法七二一条に明文の規定があり、本件事故についてもこれに関しては、すでに損害金が支払われている)、第四に次に述べるとおり、保険法上も被保険者は、法人格を有するものでなくてはならない、第五に本件事故により「傷害」を負ったのは、原告順子であって健太ではない。

2  我が国の自動車任意保険には、自動車保険(BAP)、自家用自動車総合保険(SAP)、自動車総合保険(PAP)の三種類とこれとは性格の異なる自動車運転者損害賠償責任保険(ペーパードライバー保険)があり、このうち本件の自動車総合保険(PAP)は、搭乗者傷害保険等六個の保険がセットされているものである。この搭乗者傷害保険は、いずれもその保険の性質上「傷害」保険である。傷害保険は、その請求権の発生は、賠償「責任」の成否とは関係なく、約款所定の傷害が発生した場合に、同所定の保険金が支払われる金銭給付契約にほかならない。これを本件約款についてみると、「被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に被った傷害に対して」「保険証券記載の自動車の正規の乗用装置のある場所に搭乗中の者」に支払われるものである。講学上保険は、損害保険と生命保険に分類されるが、傷害保険はこのどちらの範疇にも入らないので、これらの二つの保険のいずれかの法理が類推適用される。しかるに損害保険においては被保険者は「保険者と保険契約者間の契約により、被保険利益の帰属主体として、保険事故が発生した場合に保険金を受け取る権利を与えられた者」、生命保険におけるそれは「その生死が保険事故とされる者」を言う。してみれば被保険者はいずれの場合でも法人格を有する者でなければならないことは言うまでもない。

四  原告ら(被告の主張に対する反論)

本件事故当時、健太が胎児であったこと、胎児に権利能力がないことを争うものではない。事故時に健太は、胎児であったが、その後健太は出生し、その後胎児の時の本件事故に起因して死亡したものである。右約款に被保険者は「正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者」とあるが、この規定は、法人格を有する「者」に限定する意味があるのではなく、ボンネットや荷台など不正な乗車位置にあるものを除外する意味であり、事故に起因して死亡した者があるにもかかわらず、その者が当時胎児であることのみをもって、保険の対象から除外することは、何の合理的理由もなく、社会正義に反した解釈である。また胎児に対する傷害という概念がないことに異議を唱えるものではないが、それは刑法の罪刑法定主義の要請に基づく法理であって、被害者救済の原理が適用される保険法では採用されるべきではない。判例も不法行為に関するものであるが、胎児について、擬制ではなく、胎児そのものに権利能力を認めている。

第三  争点

本件は、本件事故当時権利能力のなかった胎児が、その後出生により、権利能力を取得した場合、胎児の権利能力を擬制するまでもなく、保険契約上胎児の固有の権利として、保険金請求権を有するか。

第四  証拠関係

本件記録に編綴の「書証目録」記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

第一  裁判所の見解

一 私権の発生は、出生による。したがって胎児には、特別な規定がない限り、権利能力を有しない。これが民法の大原則である。これらの規定は、権利の発生に関するものであるから、強行法規であって、契約自由の原則の範疇に入らない。そうすると本件において、事故当時、健太が被保険者である地位にないかぎり保険契約上固有の権利主体として、保険金を請求することはできない。

二 ところで本件保険契約の約款第四章一条に、被保険者とは搭乗中の「者」と明記している。原告はこの規定は、「正規の乗車用構造装置のある場所」に意義があり、事故当時法人格を有する者に限定した趣旨ではないと言うが、確かに前者に重点があり、そのことを強調した趣旨ではあるが、だからといって法人格を前提にしたものではないとか、まして法人格がなくてもよいことまでを規定したものとは到底解せられない。

三 そして同条によれば、保険金給付債務の発生事由、つまり条件は、被保険者が「傷害」を被ったときである(死亡保険金の給付は、保険事故たる傷害の結果に応じた保険金給付の内容であって、死亡そのものが保険事故となっているわけではない)。ここに傷害とは、自然人たる身体の完全性を害する概念であり、そこには当然自然人を前提としたものである。

四 次に搭乗者傷害保険は、保険法学上、傷害保険であり、これは保険法の定める損害保険と生命保険のいずれの範疇にも入らない第三の形態である。そしてその解釈は、これらの保険に関するものによるところ、前者における「被保険者」とは、保険者と保険契約者との間の契約により、被保険利益の帰属主体として、保険事故が発生した場合に保険金を受け取る権利を与えられた者を言い、後者のそれは、その生死が保険事故とされている者を言う。このような観点からも、被保険者は、自然人を指すと言わなければならない。

五 そして仮に本件において、出生によって権利能力が発生したとすれば、停止条件によるか、解除条件によるかはともかく、健太は(正確な意味での保険の対象となる事故であるかはともかく)保険事故のときに搭乗者傷害保険の「傷害」についての保険金請求権を取得する(そしてその後の死亡により、給付の内容が死亡保険金になる)ことになるが、それはとりもなおさず、原告も否定している、民法の大原則に反して、特別の法規なくして、胎児に権利能力を認めることになり、不合理であろう。

六  原告が主張するように、本件の健太のような場合、すなわち出生前に事故の衝撃により(それを胎児の傷害というか、母親の傷害というかはともかく)、自己または母親に傷害を受け、その結果出生後死亡した事例において、事故時は権利主体ではない胎児であるとか、傷害にあたらず、保険の保護の対象に該当しないというのは、被害者に余りに酷であるから、弱者救済の観点から、このような場合にも保険事故の対象とすべきであるとの論理は、まことに傾聴に値するもので、将来大いに検討を要する問題ではあろう。しかし本件での保険契約(約款)が、事故時に胎児で、その後出生して法人格を取得した者までも被保険者としているとは到底認め難い。そして原告の主張を認めると、胎児が後に出生し、その後死亡した場合は保険金の給付が受けられ、より被害が深刻な胎児が流産した場合にはまったく救済が得られずかえって矛盾が拡大することも見落とせない。したがってこれらの矛盾や不公平を是正するには、より抜本的な法の改正か保険制度の創設あるいは明確な約款によってその解決を図るべきである。

第二  結論

そうすると原告の本訴請求は、証拠に基づく事実認定をするまでもなく、理由がなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担については、民事訴訟法八九条を適用し、よって主文のとおり判決する。

(裁判官丹羽日出夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例